飽き性の頭の中

今は福岡でWeb開発をしている26歳。単なる文字の記録。

僕はようやく歴史上の偉人にも親近感が湧き思いが馳せられるようになった気がする

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歴史に全く興味がなかった。全くと言っていいほどに。

過去の事実の羅列でしょというくらいにしか思っていなかった。いや、記述された段階で誰かの主観が入り客観的に事実とは厳密には異なるからどうとかいう話はとりあえず置いておく。

ここで重要なのは興味がなかったということ。

でも最近、ふと思った。会社を辞めて、これからの人生をどうしていくかを考えたときに思った。そして、Dr. STONEを見たときにもっと思った。

自分個人という存在はほとんど何も知らない、と。

そして、それは歴史上の偉人たちと同じなのでは、と。

我々現代社会に生きる人は、過去を不便だとか未開だとか思っているかもしれない。僕は少なくともその節があった。過去は過去であり、今は関係ないでしょうと思っていた。

でも、組織や社会の仕組みみたいなものから相対的に離れてみて思った。それは仕組みがすごいだけであって、個々の人間が変わったわけではないのである。

自分がこれから社会どうよくするとか、そういうことを想像するとき突然感じる。なぜならそういった仕組みを一旦リセットして、新たに良いものを考える必要があったりもするからだ。

それが、

  • 世界全体の話なのか
  • 日本の話なのか
  • ビジネスの一業界なのか
  • もっと小さく自分の周りの人たちとの話なのか

スケールは様々だろうが、自分で考えて改善(ときには改悪)をしてきた。

今のこの世界にまで持ってきた数多もの人たちの積み重ねがここにあると。社会を良くするとは、この積み上げにさらに乗せたり積み直したりする試みなのだと。

すると途端に不安になる。何者でもないただの一人の人間に何ができるのか。そこで気になったのが先人の知恵。そう、その先人の知恵、数々の成功と失敗の積み重ねが現在歴史と呼ばれていたりする。

しかも今よりも原始的なところから、文字通りゼロベースから積み上げてきた人たちがいる。そう思った途端、歴史を振り返りたくなったし、そうした人々に敬意すら覚えるようになった。

これまでは歴史は知っておいたほうがいいとか、一般教養だから、というような程度に必要だとは思っていた。5年前にさっと知れそうな本を1万円くらいで買ったりはしていた。

世界史との対話〈上〉―70時間の歴史批評

世界史との対話〈上〉―70時間の歴史批評

それでもモチベーションは続かず未だに積読になっている。

でも、こうした心境の変化があって、ようやく読む気になった。とても面白い。決まりきった制度の枠の中では到底起き得ないような欲望のぶつかり合い、そうした状況への対策・工夫、そして失敗。そうして積み上げられてきた歴史を見て他人事とは思えなくなってきた。

自分たちの社会は未来から歴史という観点からみたらどう思われるのだろうか。制度化され尽くして改善の余地なく完成された社会なはずはない。歴史にかかれているものの延長でしかなく、同じく未来を形作る人がいる。

愚かと言われようと自分の欲望や信念に基づいて行動した人がいる。そしてそれが実は功を奏したなんてことはざらにある。そんな人ことを今まさにしている人しようとしている人にとって、現代に生きる人間より過去の偉人のほうが友なのかもしれない。

僕はまず、そんな歴史のことをもう少し知りたいと思った。そして、高校生のときに、詳細はどうあれこの感覚を少しでも持てていたらなと少し後悔も覚えたのであった。