飽き性の頭の中

今は福岡でWeb開発をしている26歳。単なる文字の記録。

全く新しいものを覚えることが苦手になっている気がする話

f:id:tawachan39:20200314165957j:plain
高校生の時、初めて英語を活用したと思われる時の写真

こんにちは、たわです。久しぶりに英語の勉強をしていて思うことを簡単に書き綴っておきます。

英語の勉強というのも大学院の入試には英語の試験がつきものなので久しぶりにやり直しているという次第です。

blog.tawachan.com

英語はこれまで得意でも苦手でもなく、読み書きや人と話すということも最低限はできるので特に最近は意識もしていませんでした。

むしろある程度はできてしまうので、これまで培ったものをどうにか組み合わせてなんとかしてきたという節があります。

そんな感じで久しぶりに勉強してみて思ったのは、新しい英単語がすんなり覚えられない...ということです。

ここ5年くらいは「勉強」しようという意識はなかったものの触れることはままあったのでその流れで、うる覚えの単語がはっきり覚えられたりという進歩はありながらも未知のものを拡張するということはありませんでした。

なので単語帳を見ても、確かに勉強したことがあったり聞き馴染みのあるものはとてもすんなりわかります。実践していた分、言葉の訳だけでなく文脈的な違いやニュアンスというものもあっているかは別にしてわりとイメージできるようになっていました。その意味で知らぬ間に英語力なるものは上がっていたのでしょう。

ですが、聞き覚えのない全く進出の単語に対しては驚くほどに無力というか、「全く新しいものを理解する」というのがなかなか昔よりもうまくできないのかなという感じを受けています。

学生時代、「勉強」として日々取り組んでいた当時は殆どのことが新しいものであり、何をするにしても「全く新しいものを理解する」という営みであったように思います。なのでときには文脈とか肌感では理解できずとも、とりあえずそういうものとして鵜呑みにするというか丸暗記してしまうという選択肢も時には取っていたように思います。

ですが、働き始めてからは、「全く新しいもの」に触れる機会はたしかに少なくなっていたのかなというふうに振り返ると感じます。既に培ってきたものの関連のある、つながりのあるものを横展開する形では新しいものを覚えていましたが、概念として新出、つながりのない断片的な知識を新たにインストールする、という試みは案外久しぶりなんだな、という気持ちになりました。

これまで培ってきたものに安住して、いつの間にか全く新しいものに挑戦するという行為を知らぬ間に避けていたのかもしれません、たかが英単語を覚えるというささやかなことではありますが、そんなふうに感じました。

新しいものを理解する姿勢が失くなったら終わり、それが老害の始まりだ、くらいに思っていたのですが、知らぬ間にちょっとそうした姿勢の断片が自分の中から感じられたので驚きもしています。自分の理解できる形でモノを見ようとする態度はこうやって無自覚に生まれていくものなのでしょうか。

いくつになっても、過去のものをただ活用して物事を理解しようとするのではなく、新しく物事を吸収して、自分をアップデートし続けていきたい、そう改めて思いました。中学生時代を思い出して再び英単語をちゃんと覚えていこうと思ったのでした。